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2019.05.24

高速道路はどうやってできたの?

現在では当たり前となっている大都市間をつなぐ高速道路は、昭和40年以降、急速に日本全国に拡大していった。

一家に一台が当たり前の自動車依存型社会が到来し、全国で人々の行き来が活発に行われる様になる。

◆昭和40年代、急速に自家用車が普及

昭和40年代以降、人々の生活が豊かになるなか、乗用車はより身近なモノになっていった。

昭和30年(1955)に全国で15万台だった乗用車は、昭和40年には190万台、昭和50年には1480万台にまで増えた。

人々は一家に一台の乗用車を手に入れ、通勤だけでなく、

ドライブや観光旅行など、レジャーに利用する事も当たり前になっていった。

舗装道路が増加し、高速道路が開通した事などが、乗用車の所有を促したといえる。

◆首都高速から高速道路が始まった

昭和30年代、都内の自動車交通を円滑にする目的で建設されたのが首都高速道路である。

昭和37年、1号線の一部であった京橋~海岸間(4.5㎞)が開通し、以降、2000年代までに283㎞が建設された。

そして、その路線が神奈川や埼玉にまで広がっていったのである。

◆建物を避ける為、上空から地下にまで道路が出来る

建設当初、ビルや家屋が立ち並ぶ東京で、新たな道路を建設する事は困難であった。

そうした問題を解決する手段として、家屋の密集地域を避け、東京を巡る水路や河川、幹線道路の上に道路を建設した。

また、3号線、4号線が合流する三宅坂インターチェンジは、

地下に設けるなど、様々な工夫を用いて首都高速は完成したのである。

東京オリンピック1964が開催された昭和39年には、

開通距離32.8㎞、通行車両数は年間2000万台であったのが、

今日では、1日に100万台以上が利用し、年間おおよそ4億台もの車両が行き来しているのだ。

なお、首都高速通行料金だが、昭和37年には50円だったが、

38年には100円、39年には150円、45年には200円と、年々高くなっていった。

◆昭和40年に名神高速道路開通

昭和40年には、日本初の高速道路として、愛知県から兵庫県を繋ぐ「名神高速道路」が全線開通する。

その後、東京から愛知県を繋ぐ「東名高速道路」も開通し、大都市間の輸送に大きな役割を果たした。

そして昭和50年代以降は大都市間のみならず、全国各地に高速道路のネットワークが形成された。

昭和45年に1日32万台だった高速道路利用台数は、

平成17年(2005)頃には約400万台に増加し、自動車交通の大動脈として機能している。

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